宮間あや

宮間あや

習志野高校時代にサッカー部に所属し、高校3年次に読売サッカークラブの練習に参加した経験を持つ父の影響で、
父が作ったサッカーチーム“ フッチボール Surf ”で、小学校1年生からサッカーに取り組む。
小学校6年生の時、中学1年の男子チームのメンバーとして県大会・地区予選に特例として出場。
決勝戦では延長戦の末、自身がVゴールを決め優勝を果たした。
なお、当時のテクニックは、対戦した大谷秀和(現・J1柏レイソル)が「あとで聞くまで女子とは思っていなかった」ほどのものだった。
小学校卒業後、読売メニーナ(現「日テレ・メニーナ」)に所属し、
1999年にはNTVベレーザ(現「日テレ・ベレーザ」)への昇格を果たすが、
練習場までの所要時間などを負担に感じ、幕張総合高校2年生の時にチームを退団する。
紆余曲折を経て高校3年になった宮間と家族、サッカー関係者が相談した結果、2001年に、
本田美登里が率いる岡山湯郷Belleに第一期生として入団する事となる。
その後温泉でのアルバイトをしながら、2008年までチームの主力選手として活躍する。
2003年に初めて日本代表に招集、同年に開催されたFIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会に出場。
2004年のU-19アジア女子選手権では主将を務める。
また同年のL・リーグでは17得点を挙げて2部リーグ得点王とMVPに輝き、1部昇格の原動力となる。
その後も代表、クラブで活躍を続け、2007年には、リーグベストイレブンと特別表彰「サポーターが選ぶMVP」を受賞した。
2009年にスタートした米国WPSのロサンゼルス・ソルに移籍。
開幕戦ではリーグ創設初得点をアシスト、シーズン通算でもリーグトップタイとなる6アシストを記録する活躍を見せる。
また、チーム内で唯一となる全試合フルタイム出場を果たすなど、チームのレギュラーシーズン1位獲得に大きく貢献する。
2011年に開催された女子ワールドカップでは、主力として初優勝に大きく貢献。
大会通算では、2ゴール4アシストの活躍で大会オールスターチームにも選出された。
大網白里町民栄誉賞、千葉県民栄誉賞、さらに8月18日、なでしこジャパンのチームメートとともに、国民栄誉賞を受賞。
同年11月15日、なでしこジャパンのチームメートとともに紫綬褒章を受章。
また、アジアサッカー連盟の2011年度女子年間最優秀選手賞を受賞している。
2012年から長年女子サッカーを牽引してきた澤選手から、なでしこジャパンの主将を引き継ぎ、
強烈なリーダーシップでロンドンオリンピックでは女子日本代表を銀メダルに導く。
また、ワールドカップや、オリンピックでの振る舞いや言動が、世界各国のメディアより、
真のスポーツマンシップだと称賛されている。
左右両足から繰り出される性格無比なキック、卓越した戦術眼、強烈なリーダーシップを兼ね備えた、
現在の女子サッカーを引っ張る選手である。

1985年1月28日生まれ 千葉県山武郡大網白里町(現・大網白里市)出身  157cm/50kg
岡山湯の郷Belle所属 サッカー女子日本代表「なでしこJAPAN」現キャプテン

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