新城幸也

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2014年11月15日OAのTBS「バース・デイ」に
新城幸也さんが登場します!

毎週土曜の夕方5時にフジテレビ系列で放送している「Birth Day(バース・デイ)」をご存知でしょうか?
番組タイトルの『バース・デイ』とは、
毎年、巡ってくる誕生日のことではありません。
夢を抱き、戦いに挑み、
過酷な現実に直面した者たちに訪れる、
“人生に刻まれた、忘れられない大切な一日”を
番組では『バース・デイ』と呼び、
毎回、番組で取り上げる主人公が
新しい自分に生まれ変わる瞬間を紹介していく番組です。

11月15日は、自転車ロードレーサー新城幸也 特集!
今年7月、世界最大の自転車レース「ツール・ド・フランス」に5度目の出場。日本選手が出場したのは101回の歴史の中でも4人しかいません!
世界に挑む日本人レーサーでありSEVネックレス愛用者の新城幸也(あらしろゆきや)の挑戦が放送されます!

自転車レーサー新城幸也選手 使用ネックレス SEVスポーツ

サイクルモードインターナショナル2014にゲスト出演!

新城幸也イベント参加様子 新城幸也交流写真
チーム ヨーロッパカーに所属する新城幸也(しんしろ・ゆきや)選手。
2014シーズンのレースをすべて終え、オフシーズンに入りました。
オフの日本滞在中には、各地のイベントに積極的に参加しており、
11月9日には千葉県の幕張メッセで開催された「サイクルモードインターナショナル2014」に登場!
オフのあとにはタイ合宿が控え、来年1月にはオーストラリアで行われる
UCIワールドツアー「ツアー・ダウンアンダー」への出場を予定しています。

レーススケジュールを終えた新城は、2014年シーズンを次のように振り返っています。

「今年は目に見えるような上位のリザルトは少なかったが、レースを走っているなかで自分の走りが一段上がったという感覚があり、手応えを感じたいいシーズンでした。たくさんのサポート、応援ありがとうございました。いまは束の間の日本を楽しみます」

ツール・ド・フランス2014に出場の際もSEVルーパー タイプGを愛用!

5度目の参戦となったツール・ド・フランス2014でもSEVネックレスの存在が確認できます!
ツールドフランス新城幸也SEV
首元に光っているのは…そう!SEVルーパータイプGです。

ツール・ド・フランスに日本人選手が出場したのは101回の歴史の中でも4人しかいません。(川室競、今中大介、新城幸也、別府史之)
その中でも全23日間を走りきって最終日のパリ・シャンゼリゼに凱旋したのは新城と、その新城とともに2009年に初参加した別府史之(ふみゆき)しかいないんです!
さらに驚くべきことに新城は過去出場した4回、すべて完走している。落車による負傷や不調の日もあったはずだが、なにごともなかったかのように満面の笑顔でシャンゼリゼにゴールしている。新城自身は常に「ツール・ド・フランスは特別な大会。沿道の観衆がこんなに多いレースはほかにないので、声援をもらって走ることがとてもうれしい」と、このレースにかける意気込みを語っている。
新城の働きは、「今日、ツールで最も働いたのは日本人」という見出しでフランスメディアに取り上げられたほどで、チームの監督をはじめ首脳陣からも高い評価を受けました!

ちなみにそのチカラをひきだしたSEVスポーツネックレスはこちら!

プロフィール

小学校5年時に初めてロードバイクと出会うが、中学2年時にハンドボールと出会い、以降ハンドボール中心の生活を送る事になる。ハンドボール選手時代にペダルを踏むのは、トライアスロンの大会や練習の時だけだった。
高校3年の夏にハンドボール部を引退すると、父の知り合いでもあるロードレース選手・福島晋一氏がツアー・オブ・ジャパン宇都宮ステージで優勝した際の映像を見て自転車競技の道を志す。その福島に才能を見込まれると、高校卒業後に本格的にロードレースへ転向する。
単身フランスへ自転車留学し、帰国後はアンカーエスポワールに所属。2006年には、当時チームブリヂストン・アンカーに所属していた福島らと一緒に、新しく設立された日本初の独立チーム、チーム・バン・サイクリングに移籍、ツール・デュ・リムザン(Tour du Limousin)で総合3位を獲得。また、U-23日本選手権では逃げ切りを決め見事優勝を果たす。

2007年はチーム・バンの活動停止を受け、ほぼ同メンバーにより結成された新チームエキップアサダ(2007年=NIPPOコーポレーション・梅丹本舗・エキップアサダ、2008年=梅丹本舗・GDR)に所属する。移籍初年度に、土砂降りと濃霧で大混戦となった日本選手権で優勝。
2008年ツール・デュ・リムザンで自身2度目となる総合3位と区間優勝を獲得。2008年12月、UCIプロチームであるBbox ブイグテレコムと1年間の契約を結び、プロツアー選手となる。2009年、念願のツール・ド・フランスへの出場が決定する。なお、日本人の出場は、1996年大会の今中大介氏に続いて、戦後2人目となり話題をさらう。
レース前「完走よりもステージ優勝を狙う。ステージ優勝できたら次の日にリタイアしてもいい」と公言、第2ステージでのゴールスプリントで5着となる活躍を見せる。第6ステージでは落車の影響により、調子を落としながらも3週間のレースを終え、見事完走を果たす。同レースには別チームで出場していた別府史之選手も完走を果たし、凱旋門をバックに寮選手が肩を組む写真が自転車専門誌の表紙を飾り大きな話題となる。

2010年シーズンは序盤こそレース終盤での脱落が目立つものの、ジロ・デ・イタリアのメンバー入りを果たすと、第5ステージでは得意の大逃げを成功させる、結果的にゴールスプリントで敗れはしたものの3位に入る活躍を見せる。
2013年7月時点ではグランツールにおける日本人選手としては最高成績であり、日本人がグランツール・プロツアーで十分に戦えることを証明する結果となった。その後のステージでは、スプリンターを務めるウィリアム・ボネのアシストとしてチームに貢献し、山岳ステージでもチームに貢献、悪天候に加え、稀に見る難コースをクリアしていく。とりわけ、山岳コースの第17ステージでは再び逃げに乗り、終盤のメカニカルトラブルによる一時ストップの影響を受けたもののステージ13位となる。翌第18ステージではボネを集団前方に引き上げる役割を果たしながら、自らもスプリントに参戦しステージ13位を記録する。
最難関とされる第20ステージでもトップから僅か5分遅れで到達する活躍により、最終的に総合優勝のイヴァン・バッソから3時間22分21秒遅れの総合93位で完走した。

ジロ・デ・イタリアに続き二年連続でツール・ド・フランス出場を果たす。同年にグランツール二大会出場を果たしたのは新城幸也選手が日本人初である。チームメートのトマ・ヴォクレールと2人で大逃げを狙うのがメインの役割だが、失敗した場合には同じくチームメートのセバスティアン・テュルゴの発射台、または、単独でのスプリントと多数の役割を担う重要な選手となった。第11ステージで世界の強豪スプリンター達を相手にも臆する事なく、ゴール前のスプリントに絡み、6位入賞する大健闘を果たす。

その後も順調に活躍を続け、ツールド・フランスでは日本人初の2桁順位となる遅れの84位。ポイント賞33位(52pts)、山岳賞25位(18pts)。第4ステージ敢闘賞。アシストとして、チームのステージ3勝、敢闘賞4回、ヴォクレールの山岳賞、ロランの総合8位に大きく貢献すなどチームの主力となる。

1984年9月22日 沖縄県石垣市登野城出身  170cm 67kg

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